ゴッホのひまわり

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
(1853−1890)
1888年2月 冬のアルルにゴッホはやって来た!!
アルル駅と淳郎!! (2005.7.12)


 壁画が素朴でオシャレな、アルル駅
ゴッホは寒さが厳しい2月にパリからアルル駅に到着し、ひとまず、ここから歩いて5分の距離にある駅に近いホテルに落ち着きました。南フランスとプロヴァンスの陽光に憧れ、芸術の街パリから離れ、もう一度自分を見つめなおし、ゴッホ独特のビジョンを確信し、偉大な画家になりたく、アルルにやって来たのでした。
今日、人口約5万人のアルルは、ジュリアスシーザー、古代ローマの中心都市で今でも、コンスタンティの浴場や闘牛場・遺跡がたくさん残っており、世界中から観光客で賑わっている。
しかしゴッホは、遺跡や文化遺産を全くといっていいほど描いたいなかったのは不思議だ!!
そんな僕も、まったく文化遺産や遺跡などに興味がない点、ゴッホとおなじ変わり者なのであろう!!
アルルまでのアクセス
パリ・ガール・ドゥ・リヨンからTGV(高速列車)約4時間
片道約60ユーロ(約7900円)位である。
ゴッホ伝説はアルルで始まり サンレミで芽生える!
ゴッホの部屋 (黄色い家)

ゴッホは5月になると“黄色い家”と呼んだ建物にアトリエを構えた。彼はプロヴァンスに滞在した1年3ヶ月の間に200点を越す作品を描いた。アルルにて描いた代表作に“夜のカフェ”(同年9月)、ゴッホの寝室(左絵)、ラングロワ橋(飛跳橋)、アルルの夜などたくさんの名作を残している。
ゴッホは、アルルで、しばしば失神状態や精神錯乱になり、自責と激怒のあまり発作的に自らの方耳を切り落とす事件があった。これはプロヴァンスを代表する酒“アブサンス”が原因だとされているが、ゴッホは、アルコール異存症であったことは明らかであった。
1889年5月、彼はサン・レミの精神病院にて治療を受けることになる。
      1888年の作品『ゴッホの部屋』
ゴッホのヒマワリを求め!!
サン=レミの街 (St-Remy-de-Provence)淳郎参上
1889年5月8日
ゴッホは、アルルを離れ、サン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院の日のあたる部屋にて療養するためやって来ました。
アルビーユ山脈の裾野にある人口1万人に満たない小さな街で、オリーブの畑や糸杉の並木、白い岩山、そして『ひまわり』など、ヴァン・ゴッホの作品の世界が広がっている景色は圧巻であり、街中央で毎朝行われる 朝市はプロヴァンスの名物となっております。 夏のサン・レミはバカンスを楽しむ観光客で賑わいます。
アクセス
アヴィニョンからバスで約30分。

アルルからバスで20分
電車はありませんので注意!!

フランスの酒屋さんもビックリ!! 
座間のひまわり焼酎(冬のひまわり)試飲会
午前11時、市役所前でワイン店を開くワイン屋さん
ワインにメチャ詳しい、ヴィノテーク・プロヴァンスのオーナー、ムッシュ・クロードさんに、座間のひまわりを原料に造ったひまわり焼酎の高級品、樽熟成“冬のひまわり”を試飲してもらい、ゲリラプロモーションを試みた。
 ムッシュと淳郎の会話!!
ムッシュ!だまって試飲してみて(淳郎)
香りがいい!何が原料なんだ?(ムッシュ)
トゥルヌ・ソル“ひまわり”さ!! (淳郎)
冗談だろ! 美味しい 食後酒に通用するよ
(ムッシュ)
冷して飲めばさらに美味しい 
フランスで通用する (ムッシュ)
メルシィ  (淳郎)
びっくりしたぜ!! 冗談だろう!!
大預言者・ノストラダムス!!!
サン=レミ=ド=プロヴァンスの中心街から横路にそれた細い裏通りに、なんと!! だれもが知っている、大預言者 ノストラダムスの生家を発見した。
フランス革命、リンカーンの暗殺、第二次大戦など世界史を厳しく揺れ動かした大事件を詩によって予言したというこの人物。 時には20世紀末、日本の富士山が大噴火するなど、とんでもない預言をするお騒がせな男でもあった。
本名は、ミッシェル・ド・ノートルダム(Michel de Nostradame)としられ、よく呼ばれるノストラダムスはラテン語風にしたもの。
彼は 1503年12月14日(木)正午、ここサン=レミ=ド=プロヴァンスで生まれ、ここ(写真左上)で幼年時代をすごし、この村の小学校を卒業している。のち歴史あるモンペリエ大学にて医学を学び医師になり、その後"ノストラダムスの大預言”(Les Propheties de M. Michel Nostradamus)を1555年に刊行した。
生家とされる建物にはその旨を記したプレート(左下)がつけられている。また、同じ通りには、ノストラダムスの胸像が彫られた「ノストラダムスの泉(Fontaine Nostradamus)」がある。
ノストラダムスがこの世を去った1566年、その323年後、画家ヴィンセント・ゴッホは、精神病院にての療養のためこのサン=レミ=ド=プロヴァンスにやってくる。
これは運命のイタズラか!!
ゴッホのひまわり
1889年夏の作品
ゴッホは37歳で悲劇的な死を選ぶまでの10年間に2000点を越える作品を残しています。
ゴッホはひまわりを12画描いており、
激しく短い生涯から
『 ひまわり 』 は、ゴッホ自身をも象徴すると評されます
ゴッホのひまわりは 精神病院で描かれていた!!
サンポール精神病院
サン=ポール=モゾール(精神病院)
精神錯乱アルコール中毒、精神状態が悪化したゴッホは、アルルの病院での治療後、意気消沈の坂をころげ落ちていきます。
精神的な病は悪化しアルルの病院におれなくなり、サン=レミの精神病院に入院することになります。 ここサン=レミの精神病院での生活は、彼の絵に新しい光景、新しいステップを与えてくれました。感じやすい性格からの、それまでの苦しみが新たな息を吹き込んだのかもしれません。
彼は、ここサン=ポール=モゾール(精神病院)での療養生活、1年間の滞在の中でキャンパスに描いた作品は150点。たくさんの代表する作品の中に『ゴッホのひまわり』があります。

サン=ポール=モゾール精神病院の入り口(左上写真)
  街中心からヴィンセント・ゴッホ通りを登り徒歩約15分

アルコール中毒治療に使用された風呂桶(左下写真)
  アルコール中毒の治療法に使われた風呂桶、ゴッホのアルコール中毒治療法とは、ぬるま湯に何度もつかる、長風呂治療と単純なものだった。
  
これが!ゴッホのヒマワリ畑だ!! (五分咲き)
プロヴァンスのひまわり畑と淳郎
これが、南仏プロヴァンスに広大に広がるひまわり畑だ!!
2005年のひまわりは、天候に恵まれ、日照時間が長く例年に比べ育成が早く豊作である。
ゴッホは、このサン=レミに咲き乱れる黄色いひまわりを描き名作を残したのである。
サン=レミのひまわり畑を訪れ、僕は思った。
ゴッホが共感したサン=レミのひまわりを使いお酒を造ろう!!!
名付けて!『座間特産・ゴッホのひまわり』
これがプロヴァンス料理だ!!
レストラン ラ・メゾン・ジョーヌ(黄色い家)

ラ・メゾン・ジョーヌ(黄色い家)
正面に立つ淳郎
このレストランの料理を食べずに
南仏は語れない!!
今、フランスをはじめ、世界で注目を集めている南仏プロヴァンス料理。
サン=レミの街の中心にあるレストラン、ラ・メゾン・ジョーヌではプロヴァンス料理を造り出したら右に出る者はいない、南仏の一人者!!フランソワ・ペロ氏のお店。
ペロ氏の造りだす、プロヴァンス産オリーブオイルを使用したオードブル、地中海の魚料理、シェフご自慢の鳩料理は絶品!!! そして四季に応じたプロヴァンスの果物を使ったデザートはたまらない!!!
もちろんお勧めのワインは、この地で産する、レ・ボー・プロヴァンス(Les Beau Provence) 赤も白もいいが、ロゼも美味しいぜ!!
夏は、屋根裏のバルコニーで食事を楽しむことができ、バルコニーから眺める夜空は、ゴッホがキャンバスに描いた名作『サン=レミの夜空』そのままである。
プロヴァンス地方の名料理人
フランソワさんとの約束!!

座間特産“冬のひまわり”を試飲する
フランソワ・ペロ氏(右)と淳郎!
魅力的な歴史を感じる、サン=レミ=ド=プロヴァンス。16世紀にノストラダムスが生まれ、19世紀後半にゴッホが名作を残すこの小さな街において。今日、未来に歴史の1ページを残すであろう2人の職人がいる。
1人目は、フランスで知らない人はいない、チョコレート職人の第一人者、ショコラティエ“ジョエル・デュラン”。
そして、プロヴァンスの田舎料理を世界に広げるレストラン“ラ・メゾン・ジョーヌ”料理長、フランソワ・ペロー氏(写真左)である。 今回、『座間特産ゴッホのひまわり』プロジェクトにあたり、第一難関のフランスから座間市までのゴッホのひまわり種の輸入に協力してくれる日本人好きの銘シェフです。
さて、ノストラダムスも預言できず、お酒好きの画家ゴッホも飲めなかった国境を越えた『座間特産・ゴッホのひまわり』プロジェクト。
成功するであろうか??
フランス側との最終打ち合わせは 9月中旬
お楽しみに!!!
 
第3ステージ