基地と私たち キャンプ座間と沖縄基地

2014-07-14

7月14日(日)  今回は少し難しいお話となります

日本には133の米軍施設(平成26年防衛省資料)があるのはご存じであろうか?中でも、沖縄県には、33の米軍施設があり一番多く、私の生まれ育った神奈川県には14施設と全国で2番目である。

現在、日本には3万5千人のアメリカ兵が駐留しているが・・

現在、世界中で一番、アメリカ兵が駐留している国はどこであろうか???・・・・・・・・ 答えは ドイツの7万人である。

ドイツは、2005年の世界的な米軍再編計画のもと、7万人から3万5千人に削減され、日本と肩を並べる形とのなっている。

基地のある街(座間市)で生まれ、育った私は、これからも基地と向き合って生活をしてくうえで、国内の基地の歴史、おかれている立場、理由などをもっと学び、近隣諸国との外交環境の変化を交えながら、戦争のない平和な世の中にしていかなければならない。

そのために 猛暑の中 一日をかけて 沖縄の基地をめぐり縦断してみた。

※キャンプキンザー 海兵隊駐在(浦添市) 那覇市の北、指導58号線からの街並みは横田基地に似ている。浦添市の市面積の約14%を占  めている。軍需物資の貯蔵や補給、修理などのための巨大な倉庫群・兵舎が建てられており、米陸軍の極東随一の総合補給基地となっている。基地の約90%は私有地でるため、年間45億円を超える賃借料が地主に支払われている。

※嘉数高台(かかずたかだい) 宜野湾市    太平洋戦争末期の沖縄戦において嘉数高台をめぐって1945年4月8日(7日)からの16日間に行われた戦いの舞台。この戦いは沖縄戦最大級の戦闘の1つとしても知られるほどの激戦であった。頂きには、日本兵とともに戦った朝鮮半島からの軍人留学生や多数参加した京都からの軍人さまたちの石碑がまつられている。

※普天間飛行場 (宜野湾市) 海兵隊施設  通称は普天間基地(ふてんまきち、MCAS FUTENMA)で、地元宜野湾市民は単に「基地」と呼ぶ。2,700mの滑走路を持ち、嘉手納基地と並んで沖縄におけるアメリカ軍の拠点となっている。宜野湾市は過去に発行した広報資料にて那覇都市圏を構成する沖縄県の中でもっとも人口が過密な地帯の一部であり、世界一危険な基地とも言われている。基地の周りに住宅地が密集している状況については、二つの側面がある。ひとつは、普天間基地の周辺は沖縄戦での激戦地区で、戦後は、日米両軍の不発弾の埋もれた危険地域であり、米軍により不発弾処理がなされたあと、民間人の収容所として確保された点である(もともとの住民が戻ってきただけという話もある)。もうひとつは、基地建設後、本土復帰以降に顕著となった日本政府の思いやり予算に則した基地行政などにより、周辺住民が基地に依存した地域社会を形成し現在のような住宅密集地域となったという意見もあるが、那覇市のベッドタウンとして発展しており、那覇へ近い南西側の海浜地区の発展が著しく、普天間基地は市の発展に地勢的に蓋をしている現状がある。

※キャンプ瑞慶覧(きゃんぷずけらん)北谷市 海兵隊施設 管理部隊名:在沖米海兵隊基地司令部。キャンプ瑞慶覧の占める土地のうち、およそ9/10は私有地である。このため年間81億円を超える賃借料が、日本政府から地主に支払われている。近隣の返還された海辺に面した土地は、アメリカン・イレッジは観光客でに賑わっている。

※嘉手納飛行場 (嘉手納町) 町の85%が基地で占める嘉手納町。総面積は約19.95km²。3,700mの滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地。面積においても、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。かつてはスペースシャトルの緊急着陸地に指定されていた。 空軍施設

※キャンプハンセン (金武町) 海兵隊施設  金武湾の北岸に近く、沖縄本島に位置する主要な軍事施設としては、北から2番目にあり、海兵隊の基地だが、アメリカ陸軍など他の軍も訓練に使用している。この施設は2005年に複合射撃訓練場(いわゆる都市型戦闘訓練施設)としてレンジ4(Range4)と呼ばれる区域に建設された。使用する部隊は陸軍特殊部隊群第1大隊(通称号、グリーンベレー)である。

また2006年4月には在日米軍再編についての最終案がまとまり、陸上自衛隊も本基地を使用して訓練をすることが取り決めされた。この決定に対して金武町、宜野座村、恩納村の3町村の首長や議長らでつくる「キャンプ・ハンセンに関する3町村連絡協議会」は早々に反対を貫くことで合意し、地元金武町議会は自衛隊の施設使用に反対する決議を出しいまだ共同使用の目途はたっていない。

 

※キャンプシユワブ (名護市) 海兵隊施設  普天間飛行場の移転地「辺野古」を敷地内にもつ基地。総面積は、約20.63km²で、施設・区域の上空2000フィートまで米軍による使用が認められている。キャンプ名は、1945年(昭和20年)5月7日に沖縄戦で24歳で戦死し、名誉勲章を受章したアルバート・アーネスト・シュワブ一等兵の名に因んでいる。キャンプ・シュワブが占める土地のうち、およそ1/4は私有地である。このため、年間23億円を超える金額が賃借料として地主に支払われている。お隣には、辺野古弾薬庫が隣接する。 辺野古漁業港には、普天間飛行場移設の反対テントが設置されている。

(写真 海兵隊キャンプキンザー、アメリカンビレッジ、激戦の嘉数高台、普天間飛行場所、キャンプ瑞慶覧、キャンプハンセン、キャンプシュワブ、飛行場建設予定地辺野古の砂浜、辺野古の集落。)